独り言スペシャル Stargazerの北海道珍道中 後半

 さて、前半で行った取引先で来週あると言われたイベントは、9/7に札幌近郊の長沼町で行われた「北海道星見人(ほしみすと)の会」と呼ばれるもので、道内の天文同好会が集まって行われる交流会です。これに、機材デモをするために参加しないか・・・と、帰ってきてから他の取引先からも言われて、しばらく考えていたのでした。なにしろ行ったばかりですし、経費的にも少し使いすぎているので、どうしよう・・・。しかし、商品を知っていただくのにはたいへん良い機会なので、参加する方向で検討をはじめました。
 武藤工業からもCCDのデモに行くということでしたので、これと組み合わせてPyxisを使った自動導入のデモをするのが一番よいだろうと、武藤工業さんと打ち合わせて、共同でデモをすることにしました。しかし、現地には電源が用意できないことがわかり、機材だけを持ち込んだだけではだめになりました。電源まで現地に送ると送料もかかるし、梱包もたいへんになる・・・。飛行機を使って行くのと、新潟からフェリーを使うのは費用的に変わらないことを考えて、自家用車に機材を積んで、フェリーで行くことに決定しました。
 JAFにフェリーを予約してみたら、案外すんなりと希望の便がとれてしまいました。そんな話をカドクラ氏にしたら、彼も同行することになり(お互い物好きだよね)、またまた珍道中となったわけです。

9/6
 前半から帰ってきて、月末の締め日にも重なったりいろいろな仕事もたまっていて、1週間忙しくすごしていました。前日も、近所の中学校で天体観望会があったり、友人が自転車のキャリアを借りに来たりと忙しくしていると、カドクラ氏が「今からでる」の電話が来ました。
 持ち出し機材の準備をして、車に積み込んでしばらくしてカドクラ氏が到着したのは午前2時ごろでした。一眠りしてからでかけても間に合うのですが、寝てしまうと動きが鈍くなるので、ちょっと早いけど出かけてしまうことにしました。荷物の最終チェックをして、新潟へ向けて出発します。関越道の東松山ICまで深夜なので30分程で着き、あとは新潟へひたすら走り続けます。助手席ではカドクラ氏が寝息をたてているので、休憩予定の越後川口SAも通過して、一気に栄PAまで飛ばしました。
 ここでドライバーチェンジして、新潟西ICで高速をおりてフェリーターミナルへ。乗船車待機場には6:00ごろに到着しました。5:30に小樽から到着したフェリーからは、大型トラックなどがまだ下船しています。すでに3台の車が待機しており、途中のコンビニで買った弁当を朝食にしばし車の中で休憩をとります。
 港はもう秋の気配が感じられて、とんぼが車のアンテナに止まっています。トレーラーヘッドがフェリーの中と外をいったりきたりしています。9:45から乗船開始。初の長距離フェリーの旅にちょっと緊張しているようです。
 船は「フェリーあざれあ」という名前で、総重量20万トン・約900人の定員とトラック180台が積載できる大型船です。2年前に就航した新鋭船で、内装もとてもおしゃれできれいです。車を甲板に止めてカウンターで寝台の指定を受けます。今回は2等寝台を利用します。普通の2等船室はぞくに言う「雑魚寝」船室ですが、2等寝台はパーティションで区切られた2段ベッドになっていて、カーテンで仕切られるのでなかなか良い環境です。カウンター前のロビーは広々としていて、売店も営業しています。船内にはラウンジやサロンが各所にあって、ビデオ映画を上映するホールもあります。ゲームルームや卓球台のあるスポーツルームも有り、17時間の船旅もいろいろな過し方ができるように工夫されています。
 10:30出航。轟音をたてて船が岸から離れ始め、甲板員が忙しそうに作業しています。新潟港を出るのを見届けてからベッドに戻りました。
 何分にも17時間の船の旅。まずは「寝る」ことが基本です。とりあえずあまり寝ていない私たちは一眠りすることにしました。13:00ごろ、レストラン営業終了のアナウンスが流れたので、とりあえず昼食を取りに行き山菜うどん\480を食べました。今日は少し風が強くて、若干ですが船が揺れます。デッキは出入り禁止になってしまいました。
 18:00ごろ、西側のサロンから日本海に沈む夕日を眺めました。私たちは大平洋側の人間なので、海は日が昇るところだと思っているのですが、日本海側の人達にとっては、海は日が沈むところなんですよね。その意識には大きな違いがあるという話を聞いたことがあります。
 太陽が水平線の下に沈んだころ、ちょうど夕食のレストラン営業がはじまりました。船の上ということであまり期待していなかったのですが、案外いろいろなメニューがあって、2人で\4,000分くらい買ってしまいました。いくら丼やマグロ丼、焼き魚に刺身の盛り合わせにサーモンのマリネなど、けっこう食べてしまいました。
 ロビーでしばらくくつろいでから、評判の風呂に入りに行きました。確かに船の中とは思えないほどに広い!。外に向いた大きなガラス窓があり、夕方の日没に合せて入れば良い気分でしょう。風呂から上がって一息ついてから、早々に眠りに入りました。途中で目が覚めて、デッキに出て空を眺めると、少し雲がかかっているものの美しい星空が広がっています。海から見る星空は、気流も安定していてとても美しいものです。

9/7
 3:30ごろ目覚めて、目覚ましかわりに外の風を受けにデッキに出てみると、小樽の明かりがもうすぐ近くに見えています。向かう東の空には月と金星が輝いています。金星のすぐ近くには火星の姿も見えています。港に入ると一気に着岸の緊張が高まります。

 無事に到着し、いよいよ北海道上陸です。私は車で全国を走り回っているので、北は青森から南は熊本・大分まで自家用車で走ったことがあるのですが、北海道には初上陸になります。フェリーターミナルを出て、とりあえず札樽自動車道で札幌方面に向かいます。高速道路は本州とさしてかわりなく、特にこの札樽道は比較的早いうちに開業したのでトンネルもやや幅が狭い感じです。左手には石狩湾が見え、朝焼けがはじまっています。
 札幌東ICから市内の均一区間に入ります。まだ5時前ということであまり交通量はありません。均一区間の終点の大谷地ICでおりて一般道の国道274号に入ると、地元のトラックや乗用車が広い道路とともに出迎えてくれました。しばらく高速の側道を走り、左に折れていよいよ北海道らしい道に入ってきました。JR千歳線をくぐって西の里のコンビニで食料の買い込みをします。北海道ローカルな食料がやっぱりいろいろありました。なぜか「ソーセージ」がたくさん置いてあるのはなぜでしょう?。続いて、北海道で最初の給油をして、身支度は万端整いました。
 国道274号線はどんどん西に向かいます。途中で今日のイベントの会場となる長沼への県道とわかれ、北海道らしいのびのびとした風景の中をひた走ります。朝の仕事に向かうダンプが列になって走っているところを、釧路ナンバーの10tトラックが猛スピードで追い越していくところは、やっぱり北海道ですね。三川で室蘭本線を立体交差でわたり、夕張線川端駅前のT字路を左に曲がるといよいよ山道です。
 走りながら思い出したのが、9年前まで夕張線の清水沢から走っていた三菱石炭工業線。廃線跡の情報を小耳に挟んでいたので、ちょっと寄り道してみることにしました。清水沢の駅を右に曲がり、線路跡に沿って国道452号線になった道を走る。途中にトンネルの跡が見受けられる。南大夕張の町中はずいぶんと寂れてしまい、朝早いこともあって人影はまったくない。突然左手に黒いかたまりがあらわれて、ボロボロになった客車がホームと一緒に放置されていた。  残されていたのは、使用されていた客車3両と除雪車と保線用機関車で、保線用自転車(レールの上を走る2人乗りの自転車)もレールの上に置いてあった。客車は塗装ははがれ落ち窓ガラスはわられ、木造の屋根は風雨にさらされて崩れ落ちているものもある。営業車として最後まで残っていた3軸ボギー車ものこされていたが、下草がぼうぼうで車両に近づくこともできませんでした。一応「保存」されている旨の貼紙があったのだけれど、とてもそういう状態ではありませんでした。なにかとてもせつない気持ちになります。置いてある保線用自転車が動いたので、試しに乗ってみました。けっこう速度は出そうな感じですが、勾配はかなりきつそうです。
 再び国道274号線にもどり「日勝樹海ライン」と名づけられた道をひた走ります。適度なアップダウンと高速コーナーの連続する道路は、ついつい速度が出がちです。かつて国鉄日高線の通じていた日高町に7:30ごろ到着。車の往来も多くなってきました。沙流(さる)川に沿った快適な道をバスやライトバンについて走っていくと、ゆっくりとした上り勾配の峠道にかかります。標高1020mの日勝トンネルを抜けると、急に視界が開けて、しばらく下りると「日勝峠展望台」につきました。ここから見る十勝平野はすばらしいと聞いていたので、楽しみにしてきたのですが、若干薄雲がかかっていてあまり遠くまでみることができませんでした。しかし、いかにも「北海道」という景色を充分に堪能して、峠をおりて行きます。
 ドライバーがカドクラ氏にかわり、十勝清水まで完成した北海道横断自動車道に入ります。こちらも高速に入ってしまえば本州の高速とかわりありません。しかし、景色がひたすらだだっぴろい平原。途中にあるパーキングエリアも「十勝平原PA」ときたもんだ。帯広ICでおり、市内を抜けて国道236号線に入って南に向かいます。帯広市内はあまり案内標識が無くて、どこが国道236号なのかわかりませんでした。
 次の目的地は、旧国鉄広尾線にあった幸福駅の跡です。帯広市によって大切に保存されていて、駅の待合室にはだれともなく張った定期券やここまでのキップが雑然と張られています。ホームにはキハ22が据えつけられており、車内にも入れるようになっていました。木製の床がなかつしい。駅の前後の線路はもうまったく跡形も無くて、荒れ地になったり畑や牧草地に姿を変えています。かつて国道が線路を越えていた跨線橋も、意味のないただの橋になってしまっています。
 さらにひたすら南下し、フェリーが着くようになった十勝港を見下ろす広尾町に入ります。銀行でこれからの資金を下ろして、大平洋を望む「黄金道路」と呼ばれる区間に入ってきました。断崖にへばり付くように走るこの道路は、かつて巨額の建設費を投じて作られたためこの名前が付けられました。道路の各所に落石シェッドがあり、出入口では今年2月にあった余市でのトンネル事故の後の点検で必要と認められたのであろう補強工事が、各所で行われていました。
 天気がよいので海も比較的穏やかで、各所で釣りをしている人を見かけます。庶野から県道に入り、百人浜とよばれる広大な浜辺を見下ろしながらえりも岬へと進みます。思ったより観光客も少なく、きれいにしかれた砂利の上でコンブを干す光景が見られました。洗濯物もおなじ用に砂利の上で干しているのが面白い。
 えりも岬を12:30に出発して、ひたすら海沿いの道を苫小牧に向かいます。この道は集落も多くて、交通量もそこそこあります。国内有数の競走馬の産地としても有名で、馬が草をはむ姿が各所でみられました。JR日高本線が道路に沿っており、ちょうど追いかける形になったので、追い越した東静内近辺でキハ130を狙いました。
 沼の端から国道36号線にはいり、信号渋滞に15分ほどてこずってから15:30ごろに千歳空港に到着。今回のイベントに参加する業者さん(2時間も待たせてしまった)を乗せて、会場の長沼温泉へ。途中恵庭市内で走行中突然エンジンがストップ!・・・。車を端に寄せてセルを回したら、白い煙とが出てすぐにかかりました。燃料が残り少なくなって、燃料ホンプに水が入ってしまったようです。一瞬冷や汗がでました(^_^)。この後すぐに給油したのですが、実に550km/46リッター。リッターあたり約12km走ったことになります。ふだんの走行では8kmしかはしらないのに!。
 会場には16:00ごろ到着。天気がやや芳しくなかったので、機材のデモを室内で行ってから、天気の良くなってきた23:00ごろから屋外でPyxisによる自動導入と冷却CCDと組み合わせたデモを行いました。いくつもの天体が簡単に撮影できてしまう様子を、皆さんにも見ていただくことができました。
 雲が再び多くなってきた午前3時ごろ、機材を撤収して、私たちは一足先に会場を後にし、江別東ICから道央自動車道にのり岩見沢SAへ。車内を片づけて車中泊となりました。

9/8
 私が目覚めたのは9:00ごろ。日ざしが強く室内が暑くなってきたので、途中でエアコンのスイッチを入れるために起きた以外はぐっすりと眠れました。お手洗いで顔をあらって身支度を整え、SAの食堂で朝食代わりにそばを食べました。今日は、某ネットで知り合った旭川にお住まいの方のお宅に伺う予定になっていたので、公衆電話からネットにアクセスしてメールのチェックをしました。SAの電話はISDNになっていなかったので、久しぶりに音響カプラーを取りつけてのアクセスです。メールを確認して、電話でこれから向かうことを伝えてから、道央道を旭川に向けて出発します。今日は最初からカドクラ氏がドライバーです。
 旭川鷹栖ICでおりて、メールで連絡された通りにお宅の近くのホームセンターで待ち合わせ。はじめてお会いするのに、ご自宅にお招きいただきありがとうございました。ちょうどお友達も見えていて、4人で2時間ほど楽しい時間を過ごすことができました。
 13:30ごろ出発して、国道39号線にでます。先週来たときにも、夜行バスで走ったであろう道ですが、まったく記憶にはありません。比布町をかすめて「きのこまつり」の行われている愛別町を抜け、上川町を通って層雲峡に入ってきました。こんな一級国道から走ったままで景色が見れるのも北海道ならではでしょう。「銀河トンネル」を抜けると山深くに作られた大雪ダムが左手に見えてきます。さらに山道を上り詰めると、標高1050mの石北峠に到達します。ここから留辺蘂まではひたすら山を下ります。「北キツネ牧場」だの「キツネ牧場」だのという看板が目立つ。キタキツネは野性に限る。でも、かわいいからと言って触ったりしないように。野性のキタキツネでも人間にはあまり警戒心を抱かずに近づいてきますが、病原菌を持っていることがあるので注意が必要なのです。
 留辺蘂から国道242号に入って北に向かい始めます。もうそろそろ日も西に傾き初め、これからどこまで北に上がれるか、時間との勝負になってきました。遠軽市内で給油して、オホーツク海に向けて走っていくと、いままで天気の良かった空がどんどんと暗くなっていきます。湧別から右にまがってちょっとサロマ湖へより道することにしました。左手に湧網線の線路跡が見えます。芭露駅の跡が湧別町と有志の手によって保存されており、りっぱな石碑が立っていました。ホームの両側の線路は残されており、駅舎も出入りができます。ホームの上に駅名標が立っているのですが、左右のとなり駅の表示が逆になっていました(^_^)。
 あとは、ひたすらオホーツク海沿岸の国道238号線を北に向かうのみ。紋別までの区間は海より比較的内側のところを走っているので、まだ海はちらほらと見える程度です。名寄本線の線路跡がときおり車窓に見受けられます。紋別の町が見えるころには日もすっかり暮れてしまいました。コンビニで夜の食料などを買い込んでから、国道沿いに立つ立派なレストランを見つけたので、ここで夕食を取ることにしました。
 「望海」というこの建物の中に入ると、屋根が高くて木の香りのここちよいログハウス風の作りで、紋別市のコミュニケーション施設としても使用されているようでした。レストランで注文してから、ずいぶん時間がかかったのですが、出てきたものを見て納得。時間と手間がかかっているんですよね。詳しくは最後の食事のページを参照してください。
 ここからドライバーがカドクラ氏に再び交代。まっくらなオホーツク海沿いの道をひた走ります。だんだん夜霧が立ち込めてきました。興部付近までは他の車も多く走っていたのですが、だんだんと少なくなり、雄武からは前後にも車がいなくなってしまいました。小さな集落を時折通過しますが、家の明かりはまばら。右を見ればまっくろい海が広がっています。霧がときおり切れると、空には見たこともないような満天の星。車のサンルーフ越しでも5等星くらいまで見えるのですから、まさに「凄い」空です。突然路肩にハザードランプを付けて止まっている車を発見。急停車して様子を見に行くと、後輪がパンクしたらしい。真っ暗なところで作業も大変だっただろう。すでにタイヤの交換を終えていて、すぐに走り出せるようだったので、声だけかけて先に出発した。
 やがて、枝幸町の明かりが見えてきた。ようやく「町」らしいところに入ってきた。旧国鉄興浜北線の北見枝幸駅跡に行ってみると、若い連中が車に乗って集まっていた。駅の跡はまったく残っておらず、駅前広場が「交通ターミナル」としてタクシーやバスの乗り場として活用されていた。
 再び国道にもどって、浜頓別に向かう。途中でさっきの若い連中と思われる車が猛スピードで追い越していった。道路がなんせ広いですから、飛ばすにはいい道ですよね。浜頓別の町に入って、旧浜頓別駅の跡に行ってみると、ここもきれいに整地されており、駅の跡は何一つ残っていませんでした。
 いままでは廃線跡の駅ばかりをおいかけてきたのですが、ここでちょっと方針を変更して、現役線の宗谷本線の豊富駅に向かうことにしました。いままでは国道ばかりを走ってきましたが、この夜中に道道に乗り込むのはちょっと無謀かな?と思いつつ、道路整備の良い北海道だから大丈夫だろうということで、道道浜頓別豊富線にはいる。国道から入る場所がわからなくて通り越してしまい、ちょっと回り道して牧場の中の農道を走る。途中で車をとめて空を眺めてみると、真っ暗な空にうじゃうじゃの星!。ここならだれでもいい天体写真が撮れそうです。思わず機材を組んで撮影しようかと思いましたが、熊よけ装備もしていないし、それほど体力も残っていないので(こっちのほうが正解(^_^))、走り始めることにしました。
 道道に入ると、いきなり「上猿払まで33km」の標識。つまり33km無集落ということです。途中までは、積雪時の路肩表示もあったのですが、道も細くなって路面も悪くなってきました。その分、野性動物がたくさん!。キタキツネは何度も飛び出してきましたし、こちらを向いて目を光らせているものや車といっしょに走ってくるやつ。夜の道だからこそ見られるものがたくさん!。ビデオに撮れなかったのがとても残念でした。カドクラ氏と「途中で何台の車とすれ違うか」をかけてみました。カドクラ氏は3台。私はずばり0台。結果は。上猿払まではやはり0台。そこから豊富温泉までの20kmほどで4台がすれ違いました。
 豊富町に入り、駅前の道に入るとまぶしいばかりの街灯。いままでが暗かったからではなく、うるさいほどナトリウム灯がともっています。駅には21:40ごろ到着。まだ最終の札幌行き急行「宗谷」が来ていないので、待合室にも数人のお客さんが待っています。なぜこんなに駅にこだわっているのかというと、北海道の駅と星空を組み合わせた写真を撮りたかったからなのです。交換設備のあって、適度な夜間照明がある駅がいいのですが、豊富駅ではあまりにも明るいので、国道40号線に入り、線路沿いに北に向かいます。途中で左に折れて兜沼駅に行ってみる。駅は適度に明るいのだけれど、霧が立ち込めてしまっている。さらに線路沿いをすすんで、抜海駅にやってきた。駅構内は水銀灯が3本立っていてちょっと明るいけど、空の状態はまずまず。ここで撮影してみることにした。北緯45度を越えているので、北極星がすごい高いところに見えています。最終列車が過ぎていることと、夜に下ってくる貨物列車の時刻を確認して、撮影したのがこの写真です。すこしもやがかかっていて、透明度がいまいちだったのですが、赤信号のかすみ方がかえって印象的になったかな?。
 撮影を終えて、今日の目的地である宗谷岬まで最後の移動をする。稚内市内でショートカットする道を間違えて迷い込んでしまった。稚内空港の滑走路の明かりが美しい。やがて、宗谷岬の駐車場に午前1時すぎに到着。同じように車中泊をしている車が何台か見える。

9/9
 朝7:00ごろ目が覚めた。お手洗いで顔を洗って身支度を整える。いつもなら多いはずのバイク族が思ったより少ないのは、もう9月に入っているからでしょうか。灯台のある丘に登って、北の水平線を見つめる。樺太がかすかに見えている。自分の車で宗谷岬に来た記念に写真を撮って、小樽までの帰路に立ちます。
 稚内の市内を抜けて、オホーツク海と日本海の境に立つノシャップ岬灯台のたもとを通る。海の向こうに利尻島が雲の中にかすかに見えている。今日も大変天気が良い。道道稚内天塩線を南に走る。本州ならあきらかに「高速道路」なはずの、まっすぐな道。原生花園や牧場の中を軽いアップダウンを繰り返しながら、とても気持ちよい風に吹かれながら走ります。
 豊富からの道が交差する稚咲内では、広大な牧草地で牛が草を食んでいた。近寄っていくと、牛もこっちに寄ってくる。手前に逃走防止の高圧線があるので注意しないと大変なことになる。牧場と道路を挟んで海側には木道が作ってあり、小さな花たちが自己主張していました。
 天塩で給油をして、国道232号線をひたすら留萌に向かって走り続けます。単調な直線道路と緩やかな起伏がつづき、良い天気と合せてついつい眠くなってきてしまう。初山別村には天文台があるのでちょっと寄り道してみる。天文台のある高台からは、日本海の海岸線が長く続いているのが、美しく見えています。公園になっており、ローラーを使った長い滑り台を発見。年がいも無くやってみたい衝動に駆られてしまった。一回目、何も敷かないで滑ったら、お尻が凄く痛かった(^_^)。
 この国道には、旧羽幌線の線路がずっと沿って走っている。はっきり線路跡とわかるところもあるが、駅の跡もほとんど残っておらず、この写真のように今にも列車が走ってきそうなところは数えるほどしかありませんでした。小平町のコンビニで弁当を買って、北海道の海水浴のメッカ、留萌市の三泊海岸で食事を取る。海の風が気持ちよい。
 留萌の市内に入る。港には貨物船が入港している。ここにはロシアからの船も入港すると聞いている。かつての繁栄を示すように、飲屋街のアーケードはあるものの、のぞいて見ると中は荒れ放題。少し寂しい気分になりました。
 留萌からは国道231号で札幌に向かいます。右手に「生きている」線路が見えます。日本海側で唯一残った、留萌本線の留萌−増毛間です。え。髪の少ない人を連れてきたい?。失礼しました(^_^)。「ましけ」と読みます。これまでの広々とした風景から一変して、山が海に迫ってきて、狭い海岸線を縫うように道路が走っています。今はトンネルや橋が整備されて走りやすくなりましたが、この区間は比較的最近まで整備が遅れていて、大変だったようです。
 やがて、また広々とした風景がひろがりだしたころ、右手前方の日の光に照らされて、石狩湾に注ぎ込む石狩川の河口が見えてきました。いよいよ札幌も目の前です。時間的に少し余裕が有るので、石狩川を渡る札沼線の写真を撮りに、ちょっと寄り道しました。札幌のベッドタウンとして急速に開発の進む札沼線沿線は、文教施設もたくさん移転してきており、関東で言うつくば市のような感じでしょうか。札沼線は単線非電化ながら、この地区の輸送を一手に引き受けており、他の地区では見られない長い編成の気動車が活躍しています。余剰になった50系51型客車に、運転台と大出力エンジンを付けたキハ141系が活躍しています。
 札幌を後にして、まだ少し時間があるので高速を使わずに一般道経由で小樽に向かいました。札幌の渋滞は話しには聞いていましたが、東京と同じで環状線の渋滞はかなりひどいものがありますね。途中手稲に寄って、小樽には18:00ごろ到着しました。もうちょっと早く付ければ、ゆっくり寿司でも食べていこうかというところなのですが、経済的もんだいもあって、おいしそうなラーメンやさんを見つけて入る。なかなかおいしかったのですが、さて帰ろうと思ったら突然の大雨!(^_^)。いままで雨にたたられなかったので、最後にしてやられた!。という感じです。フェリーの時刻が迫っていたので雨宿りするわけにも行かず、車からだいぶ離れていたので猛ダッシュ!。
 コンビニでフェリーの中での食料を買い込んで、フェリーターミナルへ。乗船手続きは新潟で済ませてあるので、直接乗船口へ。ちょうど先頭の車が乗船をはじめたくらいで、20分ほどで乗船完了。帰りのフェリーは「ニューしらゆり」。行きの船より前から就航しており、船内は木目調のインテリアが目立つ。ベッドの向きが船の進行方向に対して横向きになっているため、揺れがもろに体感できる・・・。今日は揺れないかなぁ。ほどなく出港時間になりました。珍しくビールが飲みたくなったので(ふだんは絶対飲まないのよ)、缶ビールを買ってくる。缶にフェリーの図柄の入っている。コンビニで買ってきた食料をつまみに乾杯!。350ml缶の半分も飲まずに真っ赤になる私は、さっさと眠りについてしまいました。

9/10
 ビールがかなり利いたようでぐっすり眠れた私は、6:30ごろ起きました。2等寝台室には朝日がさんさんと降りそそいでいます。7:00から風呂が開くと言うので、時間を見計らって行ってみる。行きのフェリーに比べると狭いし外に向いた窓も無い。これでフェリーの乗客全員をさばけるのかなぁ。と思いました。あとで調べてみると、このフェリーは2等船室の甲板と一等・特等船室の甲板のそれぞれにお風呂があったのです。
 新潟につくにはまだ8時間もある・・・。船内を少しうろうろしてみました。学生とおもわれるグループがとても多く、同じ寝台の列にも4人のグループが夜遅くまで話し込んでいた。朝早いので彼らはすっかり寝入っているらしい。一人旅らしい女性もサロンなどでくつろいでいる。思ったより少ないのがカップル。もっとも、1等船室を使用しているのでサロンなどには出てこないのかもしれない。2等雑魚寝室も若い人を中心にかなり利用率が高い。団体旅行で乗船している人も多いようで、年配のグループの方もいらっしゃいました。
 風が無いので今日はデッキへの出入り自由。携帯電話もデッキに出ると通話可能になるときがあるので、後部デッキなどで話している人が多かった。足輪のついた鳩が迷い込んでいた。かわいそうにこのまま新潟まで乗っていくしか無いよね。元気も無くデッキの上をうろうろ歩いている。
 前日買っておいたおにぎりをほおばりながら朝食にする。今日は揺れが少なくて良かった。雑誌を読んだり持ってきたMacで遊んだりして、とにかく時間をつぶす。少しでも眠くなったら、カーテンをしめて寝る(^_^)。お昼過ぎ、デッキに出てみると、前の方から客船が近づいてくる。行きに乗ってきた10:30新潟発の小樽行きだ。長い汽笛を響かせてすれ違う。
 最後の眠りからさめたのが14:00ごろ。フォワードサロンとよばれるブリッジの真下のサロンに行くと、遠くに新潟港が見えてきた。ようやく到着だ。前に佐渡からの客船も見える。港の一番出口に近いところにある埠頭に到着。大きく向きを変えて着岸するので、かなり時間がかかる。15:15。ほぼ時間通りに着岸。下船順序は乗船順序といっしょなので、順番はかなり後になるので、ゆっくりめに車両甲板に向かう。カドクラ氏の運転で無事に下船完了。新潟西インターから関越道にはいって、自宅には無事に19:30ごろ到着。実に長い車旅でありました。

 というわけで、2回のバカ旅行の独り言を読んでくださってありがとうございます。このページ上ではじめて私の姿が公開されたことになります。カドクラ氏の方が出ている回数は多いので、どっちが私かわからないかもしれませんが、「自転車に乗った」のと「ビールを飲んだ」のが私です。わかっていただけましたか?(^_^)。  ご感想(ったってただ「行ってきたぞー」ってだけだけど)とか文句とかありましたら、お気軽に メールくださいね(^_^)。

おまけ:北海道で食べてきた物
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